リュートの出会い (太田)その一

皆さんこんにちは。リュート奏者、またこちらのサイト「ぼんぐう」の代表を務めさせていただいております太田耕平です。このコラムは、ぼんぐうに登録されている古楽奏者たちが立ち替わりで執筆しており、古楽のことや、自身と古楽とのかかわり方等をお知らせしております。コラムを通して、少しでも古楽や私ども演奏家のことを身近に感じていただければという想いで進めています。今回は私が担当ということで、古楽との馴れ初めや体験談を書かせていただこうと思います。多少プライベートなことに話がずれるかもしれませんが、なにとぞお付き合いいただければ幸いです。

さて、私は福岡市の田舎で材木業を営む家庭に三男として生を受けました。プロの奏者の中には3歳から楽器を弾く、ということも珍しくありませんが、私の場合は幼いころから木材を担ぐ、という環境のもと育ちました。音楽ももちろん好きで、比較的小さいころからギターを弾いていましたが、高校時にはラグビー部に所属、心血を注いで打ち込みました。ギターとラグビーという二足の草鞋を履いて過ごした少年時代を経て、20歳のころ、ギター留学の為にイタリアに渡りました。

イタリアでの師、グロンドーナのマスタークラス。通訳には故、濱田滋郎先生。
高校3年時、ラグビー部監督と。監督は叔父でもある。

イタリアでは6年半を過ごしましたが、その終盤、大学の卒業試験を控えていた時期、ギターでの音楽活動にふとした疑問を感じていました。「書かれた音符をそのまま忠実に弾かなければならない」、そんな、クラシック音楽では当たり前のことにどこか閉塞感を覚えていたころ、友人の紹介でリュート奏者の今村泰典さんのレッスンをうけることになりました。そのレッスンを通して伝えられた「低音とハーモニーの動きによって音楽を読み取る」視点は、イタリアにおいて主に学んだ「いかに美しく旋律を奏でるか」というアプローチとは全く違う、目からうろこのレッスン内容でした。そこで初めて、「通奏低音」という概念を知ったのでした。

イタリア卒業試験での演奏。昔の修道院後地が大学となっている。

その後晴れてイタリアの音大を卒業した私は、前述の今村泰典氏の指導を仰ぐためにドイツに移住、フランクフルト音楽大学に再入学し、今度はリュートという楽器を抱えてさらなる研鑽の道程を開始したのでした。

(次回に続く)

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