ぼんぐうをご覧になっている皆様、チェンバロ奏者の西野晟一朗です。
今回、チェンバロについてのコラムを担当させて頂くこととなりました。
福岡ではエクラタン古楽シリーズや新・福岡古楽音楽祭で演奏を聴いて頂けることが多いと思いますが、チェンバロは一体何をしているんだろう…とお考えのお客さんもいらっしゃるかと思います。 そんな話や、ひと口にチェンバロといっても当時はさまざまな種類の楽器が存在しました。チェンバロに関する話や、時には脱線するかもしれませんが様々なことを、気が進むままに書き進めていこうと思います。
まず、自己紹介も兼ねて、僕とチェンバロ、古楽との出会いについて綴っていこうと思います。
あまり詳しく書きすぎるとこの話でこのコラムが終了してしまいますので、簡潔に述べますと…
僕は元々オーケストラが好きで、小学校4年の頃にベートーヴェンの交響曲を好んで聴いていました。それと同時にインカ帝国、古代エジプトなどの古代文明にハマっており、自然と「昔のオーケストラの音は今のものと違ったんじゃないか。その音を聴いてみたい。」と思うようになりました。後に様々な音楽を聴くようになり、バロック音楽も聴くようになりました。そんな中で僕が初めて聴いた古楽器による演奏は、アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのヴィヴァルディの四季でした。
あまりに衝撃的で、正直好きにはなれず、「なんだかかび臭い音だなぁ」と思っていた反面、心のどこかでまた聴きたいと思っている自分がいました。(後にアーノンクールは大好きな指揮者になります。2010年最後の来日公演は実際に耳にすることができました。)
そして中学校三年生の時に転機が訪れました。NHKで放送されていたグールドの特集で出会ったバッハの「ゴルドベルク変奏曲」の魅力に取りつかれ、楽譜を入手し熱中してこの曲を演奏していた最中、鈴木雅明指揮バッハコレギウムジャパンの「ブランデンブルク協奏曲全曲」という非常に興味のそそられるチラシを見つけ、聴きに行ってみることにしました。ようやく、僕がずっと興味があった「昔のオーケストラ」の音を聴くという夢がかなった瞬間でした。
その演奏は、「むかしの楽器を使っているのに、音楽はより生き生きと“新鮮”」に聞こえ、とても衝撃をうけました。とても感動した最中、「第10回記念 福岡古楽音楽祭」というこれまた面白そうな演奏会のチラシを見つけ、聴きに行ってみることにしました。
この演奏会はクイケン三兄弟が全員集結し、四日間にわたりバッハのブランデンブルク協奏曲、管弦楽組曲、無伴奏チェロ組曲の1~3番、音楽の捧げものを演奏するという豪華な内容で、更にこの時だけ会場のあいれふホールにチェンバロが展示してあり、自由に演奏することができました。これがチェンバロとの出会いとなり、初めて触った瞬間から楽しくて人に譲ることもなく(申し訳ございませんでした…)演奏会がないときはずっとチェンバロを弾いていました。この第10回目から現在まで古楽祭には毎年参加しており、最近はチェンバロ奏者として出演もさせて頂くという夢も叶い、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
このようにして出会ったチェンバロを翌年、高校一年生から習い始めることになり、現在に至ります。
このことを思い出しますとつくづく人の人生は何が転機になるか分からないな…と思います。さて次に、「通奏低音」について軽く説明をしたいと思います。
チェンバロはもちろんソロの作品も多く残されていますが、当時、通奏低音を演奏する楽器としてとても重要な地位を築いていました。
通奏低音とは伴奏法の一種で、何も書かれていない右手の代わりに左手のバスの上に数字が記されており、これをもとにチェンバロ奏者は即興的に右手を付け伴奏していきます。即興的と言いましても好き勝手に弾けばいいというものではなく、様式的に理にかなったものでないといけません。
僕は、リハーサルの時に共演する楽器や歌の音量や音質、音色などによって適切な音のポジション、音数などを選んでいきます。奏者によっては殆ど即興に近い形で演奏する方もいらっしゃいます。また、共演者から「もうちょっと多く」とか「もうちょっと少なく」とか、「ここはつなぎ(パッセージ)を入れて」など注文を頂くこともあります。
だいぶ長くなってしまいましたので次回、改めまして通奏低音についてより詳しくお話していこうと思います。
西野晟一朗